オリンピック

大江季雄と西田修平の友情のメダル思惑違いで半分にどう繋ぎ合わせた

大江季雄と西田修平の友情のメダル思惑違いで半分にどう繋ぎ合わせた4

今回の『ぼちぼち くろブロ』では、

大江季雄と西田修平の友情のメダル
思惑違いで半分にどう繋ぎ合わせた

について記事をまとめてみました。

大江季雄と西田修平の友情のメダル思惑違いで半分にどう繋ぎ合わせた2

大江季雄選手と西田修平選手の
友情のメダル」というエピソードは
道徳でも教わった有名な話ですよね。

 

 

 

 

1936年のベルリンオリンピック
棒高跳び決勝は5時間にも及ぶ死闘。

 

 

 

 

日本人2人が記録の上で並びたち
銀メダルと銅メダルを半分ずつ
分け合った逸話です。

 

 

 

 

この感動の話は
大江季雄選手と西田修平選手の思惑
外れたことが原因で始まっています。

 

 

 

 

この思惑違いとは何か?
半分にしたメダルをどうやって
繋ぎ合わせたのか?

 

 

 

 

気になってしまい調べてみました。







大江季雄と西田修平の思惑違い?

大江季雄と西田修平の友情のメダル思惑違いで半分にどう繋ぎ合わせた1

大江季雄選手と西田修平選手の思惑?

日本人同士での争いはすべきでない
二人とも2位で銀メダルを獲得できる。
二人はそう考えていたのです。

 

 

 

 

大江季雄選手と西田修平選手を
含めた5人によって争われた
ベルリンオリンピックの棒高跳び決勝戦。

 

 

 

 

アメリカ代表のメドウズ選手が
4m35cmの記録で優勝を確定。

 

 

 

 

4m25cmの記録で
大江季雄選手と西田修平選手が
2位以内を確保していました。

 

 

 

 

しかし、そこに至るまでの
競技時間は5時間に及んでいました。

 

 

 

 

メダルの色を争う順位決定戦を前に
大江季雄選手と西田修平選手は
競技打ち切りを要請したのです。

 

 

 

 

しかし、審判員の判断は4m25cmを
1回目で跳んだ西田修平選手を2位
2回目で跳んだ大江季雄選手を3位
決定してしまったのです。

 

 

 

 

5時間に及ぶ死闘の末に
互いにベストを尽くしきり
2位の記録で健闘を称え合う。

 

 

 

 

当時、彼らが考えたスポーツの美学
西洋人には理解してもらえなかった
ということですよね。

スポンサーリンク



メダルをどうやって繋ぎ合わせた?

大江季雄と西田修平の友情のメダル思惑違いで半分にどう繋ぎ合わせた

銀メダルと銅メダルを半分ずつ

ベルリンオリンピックから帰国し、
二人は銀と銅のメダルを半分に切り
繋ぎ合わせたメダルに作り直しています

 

 

 

 

当時、西田修平選手の知人に
銀座で宝石店を経営している方が
いたそうです。

 

 

 

 

その知人から、
アメリカで開発された
超強力な接着剤の話を聞かされ

 

それなら、メダルを半分に切って
その接着剤を使って繋げてしまえ!
という思い切った発想から

 

友情のメダル」が生まれたのです。

 

 

 

 

宝石店で扱っている
専用の接着剤なんでしょうか?
アロンアルファ級の接着力だったのか?

 

 

 

 

1930年代のお話なので
調べましたがわかりませんでした。

スポンサーリンク


他にも面白い記事がありますよ~! ぜひ、ごらんくださいね。
あわせて読みたい
江島雅紀はイケメンツイッター画像確認 憧れの澤野大地と東京五輪へ3
江島雅紀はイケメンツイッター画像確認 憧れの澤野大地と東京五輪へ今回の『ぼちぼち くろブロ』では、 江島雅紀はイケメンツイッター画像確認 憧れの澤野大地と東京五輪へ について記事をまとめ...
あわせて読みたい
卜部蘭はかわいいツイッター画像確認 両親も陸上選手夢の東京五輪へ4
卜部蘭はかわいいツイッター画像確認 両親も陸上選手夢の東京五輪へ今回の『ぼちぼち くろブロ』では、 卜部蘭はかわいいツイッター画像確認 両親も陸上選手夢の東京五輪へ について記事をまとめ...
あわせて読みたい
城山正太郎はイケメン走り幅跳び選手高校大学社会人と記録更新が凄い3
城山正太郎はイケメン走り幅跳び選手高校大学社会人と記録更新が凄い今回の『ぼちぼち くろブロ』では、 城山正太郎はイケメン走り幅跳び選手 高校大学社会人と記録更新が凄い について記事をまと...

大江季雄と西田修平の友情のメダル

大江季雄と西田修平の友情のメダル思惑違いで半分にどう繋ぎ合わせた3

西田修平が大江季雄に夢を託した

どうして、西田修平選手は
大江季雄選手に2位の表彰台
譲ったんでしょうか?

 

 

 

 

当時の棒高跳び日本代表の中にあった
ジンクスからきているのです。

 

 

 

 

そのジンクスとは

オリンピックで好成績を残した選手は
次大会では更に好成績が残せる。

というものです。

 

 

 

 

西田修平選手自身も
1932年のロサンゼルスオリンピックで
銀メダルを獲得

 

1936年のベルリンも2位で銀メダル

 

 

 

 

自分のジンクスは終わったが
ジンクスを生かしておきたい思いがあり
2位の表彰台を大江季雄選手に譲ったのです。

 

 

 

 

年下の大江季雄選手に
1940年の東京五輪で金メダルを!
という夢を託したのです。

 

 

 

 

しかし、1940年の東京五輪はとなり
大江季雄選手はフィリピンのルソン島で
27歳の若さで戦死されています。

 

 

 

 

このお話もメダルに劣らず
真の二人の友情がわかる
エピソードですよね。

 

「友情のメダル」はどこにある?

オリジナルの「友情のメダル」は
現存しています。

 

 

 

 

大江季雄選手の「友情のメダル」は
秩父宮記念スポーツ博物館
保管されています。

 

西田修平選手の「友情のメダル」は
母校の早稲田大学大学史資料センター
保管されています。

 

まとめ

いかがでしたか?

 

 

大江季雄選手と西田修平選手の
「友情のメダル」は
今でこそ美談として有名ですが

 

ベルリンオリンピック直後は
戦争に突入していく最中でもあり
世間一般には知られていませんでした。

 

 

 

 

戦死された大江季雄選手の
遺品の整理から銀と銅のメダルが
発見されてエピソードが解明された
歴史があります。

 

 

 

 

日本人の美学とでも言うのか・・・
ライバル関係でも互いに敬って
慈しみ会える人間関係に感動します。

 

 

 

 

1936年当時に西洋人にも
このような美学が理解されていれば
良かったんですけどね。

 

それでは、以上で

大江季雄と西田修平の友情のメダル
思惑違いで半分にどう繋ぎ合わせた

についてのまとめを終わります。

最後まで読んでいただき
ありがとうございます。

これからも ぼちぼち くろブロをヨロシク!

スポンサーリンク



ABOUT ME
くろ
もう、こんな年齢になってしまったんやな~・・・ としみじみとしております。 少年だった頃から、サッカーと野球が大好きです。 現地観戦もたまにしますが、ほぼテレビ観戦です(笑) 最近は、スポーツ以外にも 色んなことに興味を持ち出した ダンディーなオジサマが(笑) 思い切ってブログも始めてみました! オジサマ的視点で色んなことを 発信していこうと思います。 どうぞ、よろしくおねがいします。